1975年の高柳昌行 北里義之

第2章 ジャズ史の内破

 高柳本人の発言によれば,そもそも集団投射と漸次投射は,「この二つを,混合あるいは結合させれば,無限の可能性」(※3)が生まれるというヴィジョンを内包したもので,本来は別々に演奏される必然性はなかったと思われる。それが1975年の時点で「セッション」や「フラグメント」になっていたのは,ジャズから出発した NDU が,即興が呼び込む偶然性に意識を集中させていたことと,激しい曲,静かな曲といった具合に,彼らにあってすら即興演奏が古典的な曲の意識によって演奏されていたためではないだろうか。少なくともこの時点の NDU は,フリージャズを演奏することによって,20世紀の黒人ジャズがみずからの音楽の限界を内破によって不断に乗り越えてきた地点に身を置きながら,それが新たな時間体験を生むことによって可能になるとは考えていなかったように思われる。アクション・ダイレクトへと至る後期の高柳音楽における認識論的切断は,時代的なアポリアとしてあったこの境界線を,実践的に踏み越えたところに訪れたものだろう。もう少し具体的にいうなら,(想像力によって)黒人ジャズの内側に身を置くことによってではなく,自分たちの即興演奏(これを分かりやすく「日本の前衛音楽」と呼んでもいいだろう)という現実を,内側から越えようとした時に初めて訪れたものだったと思う。

 集団投射,漸次投射という,最初は明らかに即興のタイプ別方法論として導入された高柳独自のシステムは,終わることのない即興の実践によって,グループ表現がしかるべき境界線を越えたところで,即興の方法論から,新たな時間体験そのものを指す言葉に変質していったことが想像される。ジャズでもフリー・インプロヴィゼーションでもなく,「集団投射」「漸次投射」がそのジャンル名となるような音楽の誕生とでも言ったらいいだろうか。高柳自身がそのことにどこまで自覚的だったのかは分からない。様々なタイプのジャズや即興演奏を,方法論の意識によって峻別していた高柳にとって,もしかしたら出来事は彼を散発的に訪れていたのかも知れない。ある時にまったく新しい時間の感じ方が彼を訪れても,その次の演奏では「あの感じ」をいくら探しまわってもどこにも見当たらない。そんな忘れ物探しを,彼が何度もくり返していた可能性は,十分にあり得ることだからである。このことは何を意味するのだろうか。
 高柳の音楽には,モダンジャズとフリージャズのそれぞれに,同時に答えようとする欲求や指向があり,おそらくはそれが即興演奏をする際に,彼にタイプ別方法論を採用させた原因だと思われる。ここで改めて確認するまでもなく,黒人ジャズ史における両者の関係は,後者が前者を内破することによって,即興演奏を成立させてきた歴史を持っている。

 (ここに言う「内破」とは,一種の音楽的デコンストラクションのことで,ジャズの内部にありつつ,いわばそのすべてを引き受けながら,即興演奏のなかに制度的なるものの残滓を発見し,それを徹底的に批判し尽くすことによって,それまでのジャズ総体を,内側から食い破っていくことを意味する。自由を無条件の前提とするのでもなく,ジャズという音楽の外部 --- これは,実際には,他のジャンルの音楽ということになるだろう --- が想定されているわけでもなく,ジャズ総体の精査によってジャズを越え出てしまうような演奏のあり方のことを言ったものだ。制度的なるものの残滓が,細分化されたコード進行だとか,定型ビートというような音楽用語で表現され,それらを組み替えたり,時には大胆に廃棄することが,音楽そのもののデコンストラクションにつながったと言えるだろう。デコンストラクション概念を発案したジャック・デリダが,哲学における現前の形而上学批判という,抽象的な議論にしかこの概念を用いていないとする学者たちが,歴史的・政治的な場面に応用するべく提案したのが,デリダ哲学を前提にした「内破」という用語である。こうした経緯を踏まえ,ここでジャズ史におけるデコンストラクティヴな即興演奏の働きを「内破」と呼びたいと思う。)
 (ちなみに,このことは即興演奏のすべてが内破によって成立するという意味ではないので,注意されたい。デレク・ベイリーやエヴァン・パーカーの即興は,まったく別の原理によってドライヴしている/していたと思われる。)



【註】
(※3)副島輝人『四月はもっとも残酷な月』ライナー文。


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