1975年の高柳昌行 北里義之

第1章 高柳昌行ルネッサンス

 長らく入手困難になっていた高柳昌行ニュー・ディレクション・ユニット(以下 NDU と略称)の復刻盤が,3枚同時にリリースされた。いずれも1975年当時の演奏で,時間軸にそって並べれば,ジャケットに PSF の名前も記さない完全復刻を目指した『侵蝕 Eclipse』(1975年3月14日録音/PSF/PSFD-8025/原盤:Iskra, ISKRA-001)と,原盤のスタイルに倣って単体のアルバム2枚で復刻リリースされた『アクシス もう一つの自転するもの Axis -- Another Revolable Thing』(1975年9月5日録音/解説:副島輝人/doubtmusic/DMRP-110, 111/原盤:Off Beat, ORLP-1005, 1009)である。いずれも,音楽家やその音楽に対する敬意はもとより,もはや古典と呼んでもさしつかえないだろうレコード作品への愛にあふれた丁寧なものづくりで,高柳昌行の音楽が,あるいは日本の即興演奏が,ハードルの高い音楽プロデュースを続けてきた耳豪者の人々によって,こんなふうに大切に扱われるのを見るのは,なんとも誇らしいものである。

 これらの復刻リリースと連動させて,高柳昌行のアルバム制作を専門に行ない,その業績の顕彰に努めているジンヤ・ディスクからも,新宿ピットインでのライヴを収録した1982年暮れのギター・ソロ演奏集『ロンリー・ウーマン・ライヴ』と,飯島晃とのダブル・ギターが特徴的な最後期の NDU による1983年夏の集団投射の記録『マス・ヒステリズム』という,貴重な2枚の発掘アルバムがリリースされている。ただしこれら80年代に入ってからの即興演奏は,晩年のアクション・ダイレクトへと向う後期高柳音楽のミッシング・リンクというべき内容を持つため,別の角度からの検討が必要となるだろう。そこで本論では,1975年の NDU の活動を中心に論じることにしたい。

 年譜(※1)を参照すれば,1973年頃から共演を始めたカルテットのメンバーに異動はなく,どのアルバムでも,高柳を筆頭に,森剣治(as,fl,recorder),井野信義(b,cello),山崎弘(ds)というお馴染みのメンバーが,集団投射,漸次投射の演奏を行なっている。この年,高柳昌行45歳,森剣治33歳,井野信義25歳,山崎弘35歳である。曲名に注意してみると,3月の時点で,彼らは NDU の集団即興を「セッション」とジャズ風に呼び,9月の時点では,「フラグメント(断片)」と,演奏の未完成さを強調するような,あるいはそれが穴だらけの音楽であることを示すような呼び方で呼んでいる。ちなみに当初 ESP からのリリースを念頭に録音された『四月はもっとも残酷な月』(1975年4月30日&5月11日録音)(※2)も,同メンバーによるこの時期の演奏だが,おそらく作品性を意識したのだろう,このアルバムでは,集団投射,漸次投射による集団即興のそれぞれに,『荒地』に収められたT.S.エリオットの詩から取られた英語のタイトルがつけられている。言うまでもなく,こうした曲名の選択には,その時々のメンバーの関係性が反映されていたり,録音テープで反復聴取される即興演奏への自己解釈が含まれている。おそらく彼らは,一回一回の演奏の偶然性に揺さぶられながら,音楽の生成過程を生きる体験を共有し,自分たちが生み出した音楽に検討を重ねながら,演奏のたびに新たな抜け道を発見するようにして,ジグザクに歩を進めていったものと思われる。

 こんなふうに考えてみると,『マス・ヒステリズム』における NDU の演奏や,ソロの究極スタイルというべきアクション・ダイレクトの演奏形態が,多くのジャズ評論家からマンネリやクリシェ(そしておそらくは退屈さ)を非難されてきた60分一本勝負のフリージャズのように,長時間にわたって切れ目なく演奏されたことに,特別の意味があったことに気づかされる。おそらくそこで目指されたのは,70年代の NDU が前提としていた「セッション」や「フラグメント」,すなわちメンバーが時間を切り分けたり空間を棲み分けたりするのではない,トータルな時間の体験様式を,即興演奏によって実現することだったのではないだろうか。


【註】
(※1)ネット上にある高柳情報サイト「takayanagi's data」の年譜。
 http://www15.ocn.ne.jp/~guitar21/
(※2)「April is the cruellest month」のタイトルを,丹波菊井の訳により表記。
 詩文の出典は,T.S.エリオット詩集『荒地』。


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