汎音楽論集 高柳昌行

「音楽」との遠い距離

あらゆる芸術の分野の中でも、人種、国境を越えるものとして「音楽」が最も特殊視される風潮が見られるのは何故だろう。
 クラシカルのごとく居丈高に権威の衣をまとい、古色蒼然たる甲冑に身を固めながら、古城に彷徨う亡霊さながら、近代建築のホールを巡り、コンテンポラリーとなると真新しい装いで時間の流れに乗りつぎ、見せかけの巧みな技を以ってその「音楽」と信じ込んだものを極めようとするもの。又、反面、旧ジャズやソウルのごとく前者と全く無縁な所で、地を這う生活の中に呪詛の如く発生したもの、フォークやロック、はたまたニュー・ウェイヴとやらただ惰眠を貧る痴呆のたわ言をそのまま羅列したものに一定のリズムをつけたに過ぎぬもの(セリエルもその一種か)等々。分類して見るまでもないが、これらが各々取巻きを組織し、仲間褒めに終始する、その上、なおこの各形態を商品化し、その利を得ようとする人種が「業者」であり、群なして煽り立てるのがマスコミとジャーナリスト、とりわけ「音楽評判家」という化物である。

 視覚を経ずして聴覚からダイレクトに浸透し、人間の内に確実に影響を及ぼし骨がらみにへばりつく「音」の恐しさを考える由もなく、鳴り物入りで謳われる各自好みの音の中で、次第に精神生活を左右され、思考力を固定されて行く。最も自由とされているアヴァンギャルドやインプロヴァイズド・ミュージックでさえ、享受する側はいうまでもなく送る側に於いてなお、自己の属する分野以外に耳を貸すことのない偏った頑迷に依って、自らをスクラップ化して行く。

 人種を云々するよりはるか以前の問題である。色彩、文字、言語に対する感覚の相違は認めても、音になると途端に世界共通の言語になったり相互理解が可能などと、勝手な妄想にとりつかれるのは、安易な自己陶酔の域を出られぬアマチュア・レヴェルの証でしかない。妄想の中に忘我の境地を創り出すことを喜びとするなら、現代程その目的をたやすく達するに恵まれた時はない。その域を脱する為に学ぼうとする者にとっても、経済的余裕さえあれば、多数の資料、器材が労せずして入手出来る筈であるが、便利さはその氾濫を招きはしたものの、逆に「音楽」の実態そのものへの途方もない距離を作った。その実態からくる商品化された甘やかな耳ざわりの、砂糖菓子的音色は、現実を一時、何の不安もない世界に塗り替えて見せるだけの効用しかない。技の披瀝に終始するものも同様である。技と音楽を同一視する殆んど危険な「音楽評判家」が多い現状こそが、その前進と発展を大きく阻んでいる。まして、音楽商品の流通価値を以って、唯一その評となすことすら当然とする根強く広まっているこの事実を、先ずジャーナリスト自身の手で是正して行かねばならない。

 技術と卓抜なイデエを以って創作されたものが芸術であって見れば、技のみの誇大は単に過去形(旧音楽)の職人に過ぎない。立場を替えれば、技すらも身につけず何事かを表現しようなどと試みたところで、稚拙な断片のクリシェの中に自ら破滅するだけである。従って、それ程気軽に「音楽」を云々することは不可能な筈であり、まして関わりを持つこと自体、常に透徹した疑問符をつけて考えて行く必要がある。もちろんあくまでも手なぐさみで趣味の範疇を出ない場合は問題外であるが。要は、関わりを持つ以上、演奏者、聴衆が同等の演奏能力、聴取能力を有し、対応の場に臨んだとき、現場には新らしい未来形の音楽が生れる可能性が生ずるということである。過去、あらゆる時代に各生活の中に生れ、変貌しつつ生き続けて来た未定型の音楽と称されるものは、生活と密着した、生々しいものであった筈だ。必要に応じて演奏され、あるいは唄われてきたものである以上、あくまで奏者、聴衆は一体化しその中に参加していた。

 この両者の間に大きな隔たりが作られ、前述の如き態を示すには、大して時を過ごさなかった。確定した理論の歴史はたかだか数百年でしかない。一握りの錯覚されたエリートを自称する愚民が、人間性を歪めてまでも得た訓練の賜物である技術のみを、有難く、つつしんで拝聴すれば、自らも教養人たり得るとの自己満足と自己顕示欲は充分に充たされるといった調子で、ひと時を過す、この諧謔。あるいは、目隠しされればそのまま、教えられればそのままで、手をつないで平和を唱和する、倖せ者の集い。まこと、音楽は見出し得ない。とすると、現在、音楽はあるのだろうか。「水あれば必らず流る」との言葉が、改めて目につく。流れが汚染され、停滞してしまった以上、他の新しい流れを創る他あるまい。だが、水が表に流れ出るまでにはまだ確実に長い時を必要とするだろう。自分の属している極小の分野、シリアス・ミュージックやインプロヴァイズド・ミュージックを考え、現在、三十余年の音楽行動を考えたところで、単純に答えの出る筈もない自問をくり返している。果して音楽は存在し得るのだろうか、と。


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